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杉の話

今日は木工の材料である杉材のお話です。

■杉加工の歴史
木材を加工して道具にしていた歴史が、鳥浜貝塚・登呂・吉野ヶ里遺跡等に残っています。
道具が発達していない縄文時代に、割って加工しやすい杉材を板に、弾力ある広葉樹は枝の形状を利用して道具の柄に使っていたようです。杉を伐採する石斧の柄も樫の木などだったのでしょう。
その後チョウナの出現で割り加工の荒れた面を仕上げて、さらに槍鉋の出現で表面仕上げがより上質になって行きます。江戸時代に台鉋が出てくるまでは。
昨年熊本城を見学しました。新しく復元された本丸御殿の柱や梁にチョウナが使用されていますが、解体修理された宇土櫓の柱には槍鉋の刃の跡が確認できます。当時の槍鉋の使い方を知ることができる貴重な存在です。非常に感動しました。

■杉の産地
大川の家具は日田杉で作られていたイメージが強いようですが、それほど多くはなかったようです。日田杉は筑後川を筏で下り大川経由して各地に送られていたようです。杉はその土地によって性質が異なり、目的によって産地を選んでいたようです。もちろんその当時からブランド杉はあったようです。近くですと高良杉は造船用としても高く評価されていました。「南関の杉は良くなかった」「現地で買い付け一日かけて運んでいた」等の話を聞くと、近隣から杉材を入手していたことがわかります。今日のように輸送手段が発達していない時代は、輸送コストが高くついていたのでしょうから。相当価値あるブランド杉でないと、遠隔地からわざわざ運んではこなかったでしょう。

■大川の木工産業と杉
大川に動力がついた製材機が導入されるのが明治34年、でもすべてが製材機で製材されたわけではなかったでしょう。箪笥の壁板や抽斗の底板には薄い杉板が使用されています。杉材を薄く挽く手間より木材が高かったのが、輸送の困難さも考慮すれば明白です。製材が機械化されることで大川箪笥の生産も増大していきます。
この頃、大川独特の量産体制が生まれてきます。箪笥の庶民への普及という良い面と、それに反して粗悪品も出始めて榎津モノ「キズモノ」という風評もでました。
戦後の物不足の時代、フラッシュ加工によりさらに量産体制が整います。しかし、その反面フラッシュ加工が導入されたことで杉材の使用が減少します。
近年、国内に豊富に存在する杉材にスポットが当たり始めました。樫と杉が大好きな私としては大変うれしいしだいですが、木材の中でも杉は取り扱いが困難な部類になります。乾燥も加工も使用する面においても、ハードルが高い存在です。一般的には杉材を2次加工して家具用として使える材料にすることが必要です。私は杉の特徴を一般の消費者に理解していただき、そのままで使うのが理想なのですが、そこに行くきつくためにはもう少し時間が必要でしょう。

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Author:九州オーク
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