大川木工のはじまり
先日ソニー提供のTV番組「世界遺産」でノルウェーの木造教会が紹介されていました。1700年代の建築で、造船技術が活かされているとのことでした。森と湖の国ノルウェーで、主な移動手段は船です。食料も湖や海から得るために船は欠かせない存在だったことでしょう。苛酷な環境で自分たちの命を守るために、造船の木工技術が発達したのは必然的です。
実は、大川も筑後川の下流域にあり、有明海も近く魚介類の宝庫です。早くから人々の生活が始まり、漁や移動手段としての船が活躍していたことは、歴史が語っています。
全国に伝わる徐福伝説もその一つです。
紀元前に中国から日本に着いたとされる徐福は、日本に稲作や造船、木工の技術などを伝えたとされますが、まず九州に上陸し徐々に東に移動していったのではないでしょうか。
明治後期に三池港が竣工し鉄道が発達するまで、榎津港や若津港は九州でも主要な港であり造船技術が集約された地域で、たくさんの船大工が存在しその技術は門外不出で外部に出ることはありませんでした。
その船大工が造船の衰退とともに、家具製造に従事し始めたるのです。もちろんそれ以前にもノルウェーのように、造船技術を活かして建築や建具・指物を作っていたことでしょう。
先日、石橋泰助先生とお話しする機会があり、「大川の造船技術にスポットを当てれば、大川の木工技術の歴史は450年前の久米之介よりさかのぼる事ができる」と。
世界遺産に登録されているノルウェーのウルネス木造教会は、300年前の建築当時と今も周りの環境があまり変化していません。大川はこの100年で木工が産業化し大きく変化しました。その分大川が急激に無くしている物があります。手で木を理解した職人です。
造船から始まった大川の木工技術を伝承させるために、手で木を理解する職人は不可欠です。
私たちデザイナーはそんな職人さんにデザインの基本を教えてもらうのですから。
実は、大川も筑後川の下流域にあり、有明海も近く魚介類の宝庫です。早くから人々の生活が始まり、漁や移動手段としての船が活躍していたことは、歴史が語っています。
全国に伝わる徐福伝説もその一つです。
紀元前に中国から日本に着いたとされる徐福は、日本に稲作や造船、木工の技術などを伝えたとされますが、まず九州に上陸し徐々に東に移動していったのではないでしょうか。
明治後期に三池港が竣工し鉄道が発達するまで、榎津港や若津港は九州でも主要な港であり造船技術が集約された地域で、たくさんの船大工が存在しその技術は門外不出で外部に出ることはありませんでした。
その船大工が造船の衰退とともに、家具製造に従事し始めたるのです。もちろんそれ以前にもノルウェーのように、造船技術を活かして建築や建具・指物を作っていたことでしょう。
先日、石橋泰助先生とお話しする機会があり、「大川の造船技術にスポットを当てれば、大川の木工技術の歴史は450年前の久米之介よりさかのぼる事ができる」と。
世界遺産に登録されているノルウェーのウルネス木造教会は、300年前の建築当時と今も周りの環境があまり変化していません。大川はこの100年で木工が産業化し大きく変化しました。その分大川が急激に無くしている物があります。手で木を理解した職人です。
造船から始まった大川の木工技術を伝承させるために、手で木を理解する職人は不可欠です。
私たちデザイナーはそんな職人さんにデザインの基本を教えてもらうのですから。