大川で木製飛行機?
■戦中末期の飛行機工場
大川に旭航空製作所という木製飛行機を作っていたところがありました。
大川市史でも具体的にどのような飛行機を製作していたのか記載されていません。
飛行場で米軍の的になる模擬飛行機だったとの証言もあります。赤とんぼを作っていたという人もいます。グライダーのようなもので飛行実験もしたという証言もあります。
大川市史に掲載されている写真を見ると、翼のリブに軽量化のための穴があけられています。模擬飛行機には必要ない作業です。

商工省工芸指導所の工芸ニュース昭和18年11月号に飛行機部品の木製化の研究が始まったことを、剣持勇が伝えている。それから昭和19年の11月までの一年間、工芸ニュースは飛行機部品の木製化についての記事が中心となっています。その中にイギリスやドイツの木製爆撃機やアメリカの木製民間機の情報もあり、すでに海外では木製飛行機の実績があったようです。
国内での研究にはグライダーも含まれていたようで、大川で作っていた飛行機はグライダーであった可能性もありそうです。
大川に旭航空製作所という木製飛行機を作っていたところがありました。
大川市史でも具体的にどのような飛行機を製作していたのか記載されていません。
飛行場で米軍の的になる模擬飛行機だったとの証言もあります。赤とんぼを作っていたという人もいます。グライダーのようなもので飛行実験もしたという証言もあります。
大川市史に掲載されている写真を見ると、翼のリブに軽量化のための穴があけられています。模擬飛行機には必要ない作業です。

商工省工芸指導所の工芸ニュース昭和18年11月号に飛行機部品の木製化の研究が始まったことを、剣持勇が伝えている。それから昭和19年の11月までの一年間、工芸ニュースは飛行機部品の木製化についての記事が中心となっています。その中にイギリスやドイツの木製爆撃機やアメリカの木製民間機の情報もあり、すでに海外では木製飛行機の実績があったようです。
国内での研究にはグライダーも含まれていたようで、大川で作っていた飛行機はグライダーであった可能性もありそうです。
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